tumblrのreblogで消えるもの

けっきょくWeb2.0ってなんだったの に書いてたのとおんなじことだけど、つづけざまに二つ読んで、昔に死んだ猫が不憫でならないのでこれを書く。

MouRa|日本、課題|yomone!SP » ネット幸福論 第九回

また、Tumblrで独特なのは「reblog」という概念だ。これは他のユーザーの記事を自分の記事に取り込んでしまうことで、reblogがどんどん連鎖していくと、誰が最初に記事を書いたのかわからないという不思議な状況が生まれる。Tumblrに掲載されているコンテンツは、そのユーザーが作成したものとは限らないのだ。だからこそ、「個の喪失」とも言うべきものがTumblrの本質のようにも思える

Twitter / Kouichirou Eto: やっぱり,Tumblrの本質には「主体の消滅」があると…

やっぱり,Tumblrの本質には「主体の消滅」があると思うな.これを抜きにしてはTumblrは語れん.

ueBLOG |tumblrにどっぷりはまった2ヶ月 にある

自分が尻フェチだと思った事はこれまで全くなかったのですが、ReBlogしてる画像を見返してみると意外と尻ものが多かったので思わず発言しました。

という事実で分かるようにtumblrでも、そのtumblelogにあるひとつひとつのエントリにアイデンティティを見出すことはできないけれど、そのtumblelog全体としてみたとき何が入っていて何が入っていないかに tumblelog author のアイデンティティが現れてくる。

自分自身が作り出すものこそが自分自身だと考えるのなら、大量生産技術の発達でもう自分の手では何も作ることができなくなっている我々にはもはや自分自身なんて存在しないことになる。けれど、実際のところ我々はその大量生産されたもののうち、なにを自分のものとして手に入れて、何を自分のものとして手に入れないかによって自分自身をかたちづくっている。何十年も前から。

tumblrのreblogが、”個の喪失”とか”主体の消滅“という印象を与えるのは、その昔金物屋さんといったら自分でやかんをたたいて作るひと、だったのが、大量生産されたやかんを売るひと、に変化して行ったタイミングで、自分のやかんを作りだす金物屋としてのアイデンティティの喪失をおそらく感じたのとおんなじだ。
いまtumblrで、ブログといったら自分で何か考えて書いて読んでもらうもの、という時代から、ちょこっとreblogしてpublishして人に見てもらう、という大量生産時代に移り変わっている。この状況に、自分の持っていたブログの生産技術がInstant, no-overhead tumblelog で大量生産されるエントリに圧倒され、とってかわられるところに、アイデンティティの喪失、つまり”個の喪失”や”主体の消滅“を感じているのかも。


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